2012年4月25日水曜日

ニコニコ超会議のチケットをとった

4/28(土)と4/29(日)の2日間、幕張メッセでニコニコ超会議があるようなので、今日秋葉原のとらのあなで前売りチケットを買ってきました。1日1枚みたいなので2枚で2,000円。

エンジニアミーティングという開発者がしゃべる用のトラックが設けられていたりするので、どんな雰囲気なのか楽しみ。
どれくらい人が来るのかわからないけど、コミケくらい人がうじゃうじゃいたら来年からは行かなくていいかなーと今から思ってたりする。

2012年4月21日土曜日

集合知は希望に満ちた世界ではない

私はいくつかの集合知サイトの運営を行っている。
開始当時は、個人のブログでバラバラになった情報を統合し、コミュニティでより良い日本語ドキュメントを発信していこうと躍起になっていた。いまでも諦めてはいない。

しかしどうやら、サイトの編集作業というのはプログラマにとって興味の薄いもののようだ。
何千、何万というユーザー母数を持つコミュニティだが、私の集合知サイトに関わっているのはわずか数名で、継続的に活動しているのは5名程度しかいない。私が主催している勉強会やブログ、Twitterなどで呼びかけることで一時的に人数は増えたが継続にはつながらなかった。

私は集合知というものに夢と希望を持ちすぎていたのだと思う。協力が得られる前提で一定規模以上のことを集合知でやろうとすると、思ったよりメンバが集まらず、終わりが見えず人間不信に近い状態になり心が折れる。それを何回も繰り返している。
このことから得られる教訓は、集合知は協力が得られる前提ではじめてはいけない、ということだ。
自分が一人でできる規模のことから小さくはじめて、窓口を設けて希望薄に継続的に呼びかけていくしかないのだろう。

人が集まらず、人が離れていくことで、私は呼びかけることに臆病になってしまった。終わりが近づき、精神が回復するまでは今継続的に活動してくれている小規模なメンバで地道に進めていくしかないだろう。自分に人徳がないことを憂いたこともあるが、それはどうしようもないところなので、自分で決めたことをやり遂げるために何度折れても続けるしかない。

私はWikipediaを「いたずらが蔓延した失敗の集合知」であると考えていたが、継続的に活動してくれるメンバがそれだけ多いというのは、いたずらを差し引いても大成功の部類の入るのだろう。

ひとまず、編集作業をなんとか心が折れない程度に習慣化できつつある。粛々と活動し続けよう。

協力を得られないことに悪態をついてはいけない。善意は強要するものではない。
そんな小さな需要ならいっそサイトを閉じようかと何度も思ったが、今では多くのメンバが継続的ではないにしろ少なからず関わっているため、そんなことはもう考えないことにした。何度心が折れようとも続けてみせる。

ただし、少人数でやっている以上は、なんらかの対価はどこからか得られるべきだとも思う。そのうち個人サイトのどこかに寄付ボタンくらいは置こうかと考えている。PayPalのような決済サービスが最近、日本の法律にふれて寄付ボタンを撤廃してるので、もう少し先になるかもしれない。

ひとつお願いがあるとすれば、「日本語ドキュメントが少ない」と愚痴るのは控えてほしい。そういうコメントを見る度に、寝込むか壁に頭を打ち付けるかするほど一発で心が折れるのでやめてほしい。

2012年4月12日木曜日

ループする思考

最近よく思考がループしてるので吐きだしておく。

1. 世の中、悪意が満ちている
2. 悪意ではない、善意がないだけだ
3. 善意は強要するものではない
4. 数日後 1. に戻る

眠れない。

2012年4月11日水曜日

アメリカ行きの準備がほぼ完了

今年の5月に、C++Now! 2012というC++のカンファレンスに参加してくることになりました。
去年の末くらいから徐々に準備を始めてきて、今日ホテルの予約までしたのでだいたい準備が整いました。
あとはぎりぎりまで英語をなんとかするしかないですね・・・。来週からC++Now!まで、毎週月曜日にuskzさんが英語をたたき込んでくれるそうなので、がんばらねば。

ちなみに、現地までは私一人で行くのですごい不安です。向こうに無事辿りつけば、近藤さんと、日本語を話せるRay Fixがいるはずなので、なんとかかんとか辿り着かねばなりません。不安だ・・・。

不安を解消するには努力するしかない、今までずっとそう思って努力してきたのですが、最近いそがしくてこっちの努力をすっかり怠っていましたね・・・。本腰入れます。

法の感情

最近、ソーシャルゲームに対する風当たりが強くなってきている。
法による規制も検討されているそうだ。

ソーシャルゲームの、データに対する課金や、それにともなう個人間での売買行為は、法の目にはパチンコのような賭博に見えるらしい。 しかし、ソーシャルゲーム市場は、多くの雇用を生み出すことにも成功している。何十、何百というタイトルが10人を超えるチームから日々生み出され世にリリースされ続けている。それだけの人数を雇えるだけのお金を生み出し、実際それによって雇用を生み出しているシステムを裁く法の感情とはなんだろうか。

そこではどんな感情で意志決定が行われるのだろう。独裁ではなく多数決ではあるが、一人ひとりに感情があり、それを主張しているはずだ。 そこには、悪を裁く正義があるのだろうか。その正義とはなんだろうか。はたまた雇用を生み出している実情を知らない無知によるものか、正義と悪とまではいかなくてもなんらかの道徳によるものなのか。そしてそれは多数決で決めてよいことなのか。 

私もこれから組織やコミュニティを運営し、決断を下さなければならない場面に直面していくことだろう。その際に、私は皆の納得のいく結論に正しく導いていくことができるだろうか。 正義とは何か。意志決定の感情とは何か。これから学び続けていかなければならない。