2012年4月21日土曜日

集合知は希望に満ちた世界ではない

私はいくつかの集合知サイトの運営を行っている。
開始当時は、個人のブログでバラバラになった情報を統合し、コミュニティでより良い日本語ドキュメントを発信していこうと躍起になっていた。いまでも諦めてはいない。

しかしどうやら、サイトの編集作業というのはプログラマにとって興味の薄いもののようだ。
何千、何万というユーザー母数を持つコミュニティだが、私の集合知サイトに関わっているのはわずか数名で、継続的に活動しているのは5名程度しかいない。私が主催している勉強会やブログ、Twitterなどで呼びかけることで一時的に人数は増えたが継続にはつながらなかった。

私は集合知というものに夢と希望を持ちすぎていたのだと思う。協力が得られる前提で一定規模以上のことを集合知でやろうとすると、思ったよりメンバが集まらず、終わりが見えず人間不信に近い状態になり心が折れる。それを何回も繰り返している。
このことから得られる教訓は、集合知は協力が得られる前提ではじめてはいけない、ということだ。
自分が一人でできる規模のことから小さくはじめて、窓口を設けて希望薄に継続的に呼びかけていくしかないのだろう。

人が集まらず、人が離れていくことで、私は呼びかけることに臆病になってしまった。終わりが近づき、精神が回復するまでは今継続的に活動してくれている小規模なメンバで地道に進めていくしかないだろう。自分に人徳がないことを憂いたこともあるが、それはどうしようもないところなので、自分で決めたことをやり遂げるために何度折れても続けるしかない。

私はWikipediaを「いたずらが蔓延した失敗の集合知」であると考えていたが、継続的に活動してくれるメンバがそれだけ多いというのは、いたずらを差し引いても大成功の部類の入るのだろう。

ひとまず、編集作業をなんとか心が折れない程度に習慣化できつつある。粛々と活動し続けよう。

協力を得られないことに悪態をついてはいけない。善意は強要するものではない。
そんな小さな需要ならいっそサイトを閉じようかと何度も思ったが、今では多くのメンバが継続的ではないにしろ少なからず関わっているため、そんなことはもう考えないことにした。何度心が折れようとも続けてみせる。

ただし、少人数でやっている以上は、なんらかの対価はどこからか得られるべきだとも思う。そのうち個人サイトのどこかに寄付ボタンくらいは置こうかと考えている。PayPalのような決済サービスが最近、日本の法律にふれて寄付ボタンを撤廃してるので、もう少し先になるかもしれない。

ひとつお願いがあるとすれば、「日本語ドキュメントが少ない」と愚痴るのは控えてほしい。そういうコメントを見る度に、寝込むか壁に頭を打ち付けるかするほど一発で心が折れるのでやめてほしい。